経済小説イチケンブログ

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『再生巨流』 - 運送会社の再生劇

いまでは日常生活に深く浸透しているサービスのひとつに、「宅配」があります。荷造りさえすれば、運送会社のドライバーが自宅まで取りにきて、配送先まで荷物を送り届けてくれます。また、ネットでモノを注文すれば、自宅を一歩も出ることなく、それを受け取ることができるのです。「時間指定」「クール」「代引き」なども含め、とても便利なサービスと言うほかありません。ステイホームが強調されたコロナ禍にあって、宅配に対するニーズが一層高まったことは、周知の通りです。ただ、同じようなサービスを行っている業者は一社だけではありません。宅配をめぐる業者間競争は非常に熾烈なのです。また、大口顧客から配送料の値下げ要求も強まるというリスクを抱えています。その領域にだけこだわっていると、価格競争で消耗戦を余儀なくされてしまいます。では、外部の者にはなかなか知ることができない運送業界が抱える課題・問題点とは、いかなるものなのでしょうか? 今回は、経済小説の良書を多く上梓されている楡周平さんの三つの作品を通して「運送業界・運送会社」における「実像」を描き出してみたいと考えました。

「運送会社を扱った作品」の第一弾は、楡周平『再生巨流』(新潮文庫、2007年)です。業界一位の巨大運送会社であるスバル運輸東京本社内に新設された、新規事業開発部部長に就任した吉野公啓。彼の言動は、運送業界の課題・問題点のみならず、ほかの業界でも応用できる企業の再生・活性化に必要な条件・アイデアを読者に気づかせてくれます。かつて本書の解説で、「経済小説として最高傑作の領域に属する作品」と紹介したことがあるように、まさに「アイデアの宝庫」のような作品なのです。2011年3月にWOWOWドラマWで放映された『再生巨流』(出演は、渡部篤郎さん、中村蒼さん)の原作。

 

[おもしろさ] 「成長できる人間」の条件とは? 

本書の魅力は、主人公とその周囲で理解者・支援者との協働の輪が広げられていくなかで、大きな幾つもの壁を乗り越えてプランを実現させていくプロセスを、読者が手に汗を感じながら楽しめるところにあります。確かに、およそビジネス上のシステムと呼んでいるものの多くは、ほとんど完璧とさえ言えるほどに作り上げられています。ちょっとやそっとの手直しではびくともしないように感じられるものです。しかし、どんなシステムにも、問題点・すきまがあります。吉野は、そうしたビジネス上の死角や問題点を見つけ出し、それを糸口にして新しいアイデアを付加させながら、突破口を切り開いていきます。そうしたプロセスを通して、読者は、運送会社の再生・活性化に必要な条件を知ることができるのです。キーポイントは、「他者ではまねのできない魅力的なサービス」「誰もが不可能だと思っていることを実現させること」「単なる運送会社から複合企業への変貌」にほかなりません。また、企業の中で「成長できる人間」の次のような条件についても理解できます。「問題意識を持ち、自分でビジネスチャンスを掴もうとする意思」「複数のやり方を結合させるハイブリッド型の思考や、『逆転の発想』という思考方法の活用」「部下を鍛え、自分の遺伝子を次の世代に伝えるという発想」。いずれも、どの企業に勤める人にも適用できる要素と言えるものばかりなのです。

 

[あらすじ] 会社の再生と自らの再生は同時並行的に進む

スバル運輸東京本社新規事業開発部部長・吉野公啓は、それまでにも数々の新風を巻き起こし、同社の活性化に貢献してきた人物。アイデアは泉のようにわいてきます。しかし、部下など、自分の手足となって働く道具ぐらいにしか思っていません。評判は芳しいものではなかったのです。左遷人事の対象者となり、「ダメ社員」の営業マン(立川久)とアシスタント(本社では最古参の女性社員である岡本千恵)からなる総勢3名の零細部署への異動を余儀なくされます。しかも、「たったそれだけで年間4億もの新規の売り上げを作れ」という社命が。吉野は、保身に走る上司に囲まれつつも、君臨する社主を味方に引き入れ、スバル運輸を単なる運送会社からマーケティング・カンパニーに飛躍させるべく、まさに壮大なビジネスプランを提起。死に物狂いで邁進していきます。それはまた、自らの再生をも賭けた挑戦だったのです!