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『弁当屋さんのおもてなし』 - お弁当に照らし出される作り手の思いと矜持

多くの日本人が日常的にお世話になっているお弁当。その原型は、結構古い時代にまでさかのぼることができます。例えば、「幕の内弁当」は、歌舞伎などの幕間に出された弁当に由来しています。また、鉄道駅や列車内で販売される駅弁も、19世紀末には広く知られていました。いまでは、家庭で作られる手作りのお弁当のみならず、ホテルやレストラン、さらには個人営業のお店やチェーン化された弁当屋など、作り手の業態は実に多様。ちなみに、日本で最初の弁当チェーンがオープンしたのは1976年のこと。「ほっかほっか亭」の創業者である田渕道行が売り出した「炊き立ての温かい弁当」は、「冷えたごはん」と「冷たいおかず」という「弁当の常識」を覆すものとなったのです。今回は、個性的な個人経営の弁当屋を描いた二つの作品を紹介したいと思います。

弁当屋を扱った作品」の第一弾は、喜多みどり『弁当屋さんのおもてなし ほかほかごはんと北海鮭かま』(角川文庫、2017年)です。札幌にあるお弁当屋さん「くま弁」が舞台。「お客様のためだけにお作りいたします」というのがキャッチフレーズ! と同時に、客の相談にも乗ってくれたり、時間を指定すれば取り置きまでしてくれたりする「異色のお弁当屋さん」なのです。『弁当屋さんのおもてなし』シリーズの第一作。HTB北海道テレビが、この本を原作にしたドラマを2023年に予定しています。

 

[おもしろさ] 多様なお弁当に食欲がそそられる

開店時間が17時、閉店時間25時という「くま弁」は、仕事帰りの客や夜食を求める客をターゲットにしているようです。さまざまなお客さんが「くま弁」を訪れます。13歳の娘を溺愛している黒川晃、函館に拠点を置いている食肉加工会社のCMに出演している「地元密着型アイドル」の白鳥あまね、破たんしたアパレル会社の若き社長・華田将平……。客の事情・好みに合わせた弁当を作ろうとする店員と、その弁当を食べることで励まされる客との交流が描かれています。客の要望に応じて提供される、バラエティーに富んだ弁当の数々。食欲がそそられること、確実です! 

 

[あらすじ] ボロボロの精神状態のOLが出会った「食欲」

小鹿千春は、札幌市に転勤してきたばかりの25歳のOL。勤務先はコールセンター。恋人を失い、心のなかはボロボロの状態。食欲のない日々。ある日、歓楽街「すすきの」の端っこ、コンビニ飯にも飽き、「手軽で、安くて、素朴なもの」を求めて歩いているうちに偶然見つけたのが「くま弁」というお店。最初に目に入った「ザンギ(鶏のから揚げ)弁当」を注文します。ところが、店員の大上ユウから聞かされたのは、思いがけない言葉でした。「メニューにないものでもお作りできますので。お客様のためだけに、お作りいたしますよ」。さらに驚いたのは、自宅に戻って、ビニール袋の中を見ると、入っていたのはザンギではなく、「焼いた鮭かま」と、釜で炊いたご飯だったこと。しかも、「菅原内科クリニック」の電話番号と地図が添えられていたのです。そのお弁当を自分のために作ってくれたことを確信した千春。涙をにじませながら、そのおいしさをかみしめます。こうして、千春は、「くま弁」の常連客に。追い出されるようして来てしまった北海道でしたが、ここで「生き直そう」という意欲が湧き上がってきたのです。