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『就業規則に書いてあります!』 - ブラック体質と格闘する女性労務管理者

多くの人たちが一緒に働いている会社。が、社員たちが生まれ育った環境や境遇はバラバラです。仕事のやり方やスピード感はけっして一様ではありません。さらに、上司と部下、男性と女性、正社員と非正規社員の間では、大きな考え方の違いやズレが横たわっています。世代が異なることから生じる考え方や行動様式の違いもまた、けっして小さいものではありません。その結果、コミュニケーション不足という条件も重なり合って、さまざまなトラブル・問題・対立が起こります。パワハラ、セクハラ、過重労働、サービス残業、リストラ、下請けいじめなど、ほぼ日常茶飯事と言っても過言ではありません。それらが放置されると、働いている人の「ヤル気」が削がれたり、退職者が続出したりと、大きな弊害が生じさせることに。では、そうしたトラブルに対処するには、いかなる手段・方法があるのでしょうか? 大別すると、二つのパターンが考えられます。一つ目は、会社内部の「自助努力」です。従業員10名以上の事業所には、働く人の労働条件や職場内の規律を定めた「就業規則」が義務づけられ、それらの問題に対応するため、人事・労務管理に携わるスタッフが配置されています。そうした会社内部の「力」が功を奏し、働いている人が直面するトラブルが解消されていくパターンと言えるでしょう。二つ目は、「外部の力」によって、トラブル解消への道筋が作られていくパターンです。今回は、会社・職場で起こるさまざまなトラブルを扱った作品を五つ紹介します。

「会社のトラブルを扱った作品」の第一弾は、桑野一弘『就業規則に書いてあります!』(メディアワークス文庫、2020年)。アニメ制作会社で労務管理者として働き出した平河東子が、社内にはびこる「ブラック体質」と格闘。アニメ業界における仕事の内容がよくわかります。「好きだから頑張るのが当たり前」と思い込んでいる人には、ちょっとした「治療薬」になるかもしれません。

 

[おもしろさ] 健康と納期、どちらを優先させる? 

働き方改革」が叫ばれる昨今、「職場環境の改善は、全ての企業にとって差し迫った問題」となっています。したがって、労務管理に携わる人の役割は、きわめて大きいわけです。しかし、俺たちは労働者じゃなくて、志ある「アニメーター」だと、言い張る人たちが力を持っているアニメ業界においては、働く人の労働環境の改善を図ることは、至難の業と言えるかもしれません。本書では、働いている人の健康を最優先するのか、それとも納期と作品のクオリティを最優先するのかで揺れ動くアニメ制作会社の実態が浮き彫りにされています。本書のおもしろさは、就業規則すら存在しないアニメ制作会社で、労務管理者はどのように苦闘するのかを描いている点にあります。

 

[あらすじ] 「頑張ったさ! もう、三日も寝てないんだぞ!」

平河東子が新卒で就職したのは、大手企業のN建設。人事部に配属され、労務管理の仕事に就くことに。就業規則の徹底、職場の安全研修、社員たちのメンタルケア、ハラスメントの撲滅、労働法の習得など、大変だが、充実した日々を過ごしていました。ところが、入社2年目、業績悪化で、自分の居場所はないと判断した彼女は、自主的に退職を決意。社長である叔父・平河進の誘いに応じて飛び込んだのが、下請けのアニメ制作会社「8プランニング」。最初に遭遇したのは、男性社員による「セクハラの応酬」でした。一年前に社長を引き受けた叔父にしても、「この業界はキツイよ。金銭的にも、体力的にも。若い人間がなかなか育たない。みんな、夢を持って集まるんだけどね、実際はおまんまが食えないんじゃ……。ま、早い話が典型的なブラック企業だ」といった考えを持ち合わせていました。事実、過剰な労働時間、最低賃金を下回る月収、日常的なパワハラ、セクハラなど、問題だらけだったの職場だったのです。「頑張ったさ! もう、三日も寝てないんだぞ! これ以上、どう頑張れって!」という社員の声。それに対して、「結果を生まない努力は無意味だ。お前らのそれは、ただの言い訳に過ぎない」という答えが返ってきそうな、「就業規則すらない」職場。叔父が東子を雇い入れたのは、そうした職場環境をなんとかして変えたい、改善したいと考えたからでした。しかし、同社の労務管理者となった東子の前に、「くだらないコンプライアンスとやらが、幅を利かせるのは許さない」と豪語する「アニメの鬼」・堂島喬太郎が立ちはだかります。