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『新米編集者・春原美琴はくじけない』 - 小説が大嫌い。でも文芸編集者に

総務省統計局によると、2019年の出版数は7万1903冊。一日換算では、およそ200冊の本が発売されています。本が作られるとき、通常、著者が書いた原稿がそのままの形で印刷されるわけではありません。内容がチェックされ、誤りがあれば、その訂正が行われます。構成についても、さらに改善の余地があれば、著者とのやり取りを通じて、原稿が修正されることもしばしばです。原稿が完成し、ゲラと呼ばれる校正刷りが出来上がると、今度は、校正チェックを行い、誤字脱字などを著者に修正してもらうことになります。さらに、装丁や目次などの体裁、帯の作成なども不可欠です。本の完成に欠かせない、それらの作業全般を担っているのが、「編集者」です。が、彼らの役割は、そのような通例行われる業務に留まるわけではありません。担当する本・雑誌のためには、いわば「何でもする人」と称されるほど、仕事の幅は広いのです。しかも、評論、小説、漫画雑誌、ファッション誌など、編集者の担当領域が違うと、編集者のやるべき仕事内容も大いに異なってしまいます。今回は、最初に、小説を担当する文芸編集者を扱った二つの作品を紹介し、そのあと、漫画雑誌とファッション誌の編集者を扱った作品を一点ずつ紹介したいと考えています。

「編集者を扱った作品」の第一弾は、和泉弐式『新米編集者・春原美琴はくじけない』(メディアワークス文庫、2020年)。小説が大嫌いであるにもかかわらず、勤務先が親会社に吸収合併されたことに伴い、本社勤務となり、小説の編集者となった美琴。戸惑いや思い込みの壁を乗り越え、一人前の編集者として成長していきます。文芸編集者の仕事全般を理解するには格好の本と言えるでしょう。

 

[おもしろさ] 編集者のお仕事あれこれ

原稿を読み、どこをどう直せばよりよくなるのかについて、作家にきちんと意見を述べる。「俺たちは小説を書かない。校閲もしない。イラストも描かない。デザインも、印刷も、宣伝も、全国の書店に売り込むこともしない。編集者の仕事は、それをしてくれる人たちを支えることだ」。完成原稿を「印刷所に入稿し終わったかと思えば、カバーイラストやデザインの発注、印刷所から上がってきた校正刷りのチェック、収支シミュレーション、発行部数に関する営業部との交渉、作者やイラストレーターたちとの契約作業など」が待ち受けている。「作家本人が書きたくないと言っている。それでも書かせるのが編集者の仕事だろ」。担当作家と打ち合わせの約束を取りつけたら、各作家の経歴を調べ、過去作を読み込んでおく。トワイライト文庫新人賞への応募作品を読む。ときには、「調教師」の如く、作家を操ることも。「作家を信じて支える」……。いずれも、編集者の仕事。それら以外の雑用も含め、編集者の業務内容は非常に多岐にわたっています。本書の特色は、春原美琴という新米編集者の活躍を通して、そうした編集者の仕事の数々を丁寧に解き明かしている点にあります。

 

[あらすじ] 「あぁ、楽しかった」で終わっていいのは読者だけだ

著名な小説家・春原春樹を父親に持つ春原美琴(すのはら みこと)。父が家族との交流を一切拒み続けたことで、大の小説嫌いに。父が逝去しても、涙が流れることはありませんでした。ところが、勤務していた会社が親会社「トワイライト」(娯楽全般を扱う総合会社)に吸収合併されたことで、美琴は本社勤務に。新しい配属先は、なぜか「文芸局トワイライト文庫編集部」に決まります。小田編集長から、美琴の指導を依頼されたのは、「エース編集者」の直江。即戦力という触れ込みだったにもかかわらず、編集者の経験がなく、しかも小説を読んだことがないと言い放つ美琴にあきれ返ってしまいます。初仕事は、円城一の『青い春のマトリクス』。直江からは、「明日の夕方5時に作家との打ち合わせがあるから、それまでに読んでこい」と命じられます。読むのは無理だと思い、母に電話すると、「小説、読んでみたら。もしかしてまた好きになれるかも知れないし」と言われます。実際、読んでみると、意外にも「おもしろかった」のです。そのことを報告すると、直江は「『あぁ、楽しかった』で終わっていいのは読者だけだ」「もう一回読め……。この小説で直した方がいいところを考えて原稿にメモしとけ」と。が、美琴が指摘できたのは、誤字脱字のみ。しかし、直江のアドバイスを受け、美琴は編集者という仕事に興味を抱き始めます。そして配属後3ケ月が経過した頃、直江からの提案で、共同ではなく、ついに単独で仕事をやることになります。