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『警察回りの夏』 - 「誤報」から始まる「メディア三部作」

スポーツ小説や警察小説の分野で数々のヒット作を出している堂場瞬一。そんな作者が若き新聞記者・南康祐を主人公にして、時代の荒波に揉まれて揺れ動いている新聞社が直面している課題・難題に真っ正面から挑んだ作品を上梓されています。『警察(サツ)回りの夏』(2014年)、『蛮政の秋』(2015年)、『社長室の冬』(2016年)の三冊です。そこでは、新聞記者の仕事内容・プライド・あるべき姿や、新聞社という組織の特性はもちろんのこと、①公権力の行き過ぎた弊害や濫用を監視するという「ジャーナリズム精神」が、新聞をはじめとする既存のメディアから急速に失われつつあるという危機感、②ネットの世界では、必ずしも根拠や証拠があるとも思えない話題・意見についても取り上げられ、拡散され、あたかも「真実」であるかのごとく受け止められてしまう現状の怖さ、③「本物なら大スクープ」になるとはいえ、「誤報なら、命取り」になってしまうという「情報」に接したときの新聞記者の深層心理、④ネットでニュースを見るという習慣が広がりを見せる状況下での「紙の新聞」の将来性などが見事に浮き彫りにされています。今回は、堂場瞬一の「メディ三部作」と呼ばれている作品をすべて取り上げ、新聞・メディアの現況について考えてみたいと思います。

堂場瞬一の『メディア三部作』」の第一弾は、『警察(サツ)回りの夏』(集英社文庫、2017年)。全国紙である日本新報の甲府支局(記者は11名)で働いている記者・南康祐にもたらされた「偽の情報」。それを記事にしてしまったことで引き起こされる騒動とその顛末が描かれています。主人公の南は、記者としての矜持と正義感を持ってはいるものの、けっして「スーパーマン的なキャラ」ではありません。むしろ気が小さく、心配性。そのくせ、いろいろなことに配慮せず、突き進んでいくという側面も持ち合わせた人物なのです。

 

[おもしろさ] 記者が「偽の情報」に踊らされるとき

上記でも触れた「メディア三部作」の魅力に加え、本書『警察回りの夏』のなかで、私自身が特に興味を持ったのは、随所にちりばめられた「記者の心理」に関する叙述です。いくつか紹介しましょう。①こんなところに容疑者が現れることは考えられず、まったく馬鹿馬鹿しい限りだ。そう思っているのに、多くの報道陣に交じって張り付いてしまう。それは、「自分がいない場所で何かが起きたら、と想像すると身悶えするほど怖い」からである。②相手の人権に十分配慮し、近隣住民に迷惑となるような取材は避けるという記者クラブの取り決めがあるにもかかわらず、だれも守ろうとしない。現場の記者にとっては、「取材第一」が「普通の感覚」なのだ。③自分の足で情報を集めるのではなく、他人の話を適当に記事にでっち上げてしまうような記者たちに対する嫌悪感。④「きちんと取材、裏取りして記事にすること」は十分知っているつもりなのに、「俺は間違えない」「この特ダネを手土産に本社に上がる」「思い切って勝負をかける時がある」という思い込みや、「締め切りまで時間が残されていない」といった状況下においては、偽の情報に踊らされてしまうことも……。

 

[あらすじ] 甲府での記者生活6年目からくる不快感と焦り

甲府で記者生活6年目になる南康祐。早く東京本社に上がりたい。「いつまでもこんな場所でくすぶっているわけにはいかない」。自分だけが地方に取り残されたような不快感と焦りに苛まれていたのです。本来、事件担当のサツ回りは1年生というのが昔からの決まりで、「基礎を学ぶ新人向け」。とはいえ、「南は、本社に上がる手土産になるネタを掴みやすい、という理由で引き受け」ています。夏休みに入り、まったく人手が足りません。「紙面の埋め草になる街ネタを拾うことから、市政や県政、選挙の手伝いまで、何でも駆り出されて」います。その結果、ある事件を一から取材しているのはキャップの南一人だったのです。その事件とは、湯川和佳奈24歳の5歳と3歳の子どもが殺され、離婚した母親である和佳奈が行方不明になっているというもの。南自身を含め、多くの人は「母親がやった」と考えているようです。特ダネを狙って精力的に事件情報を収集する南。やがて、警察のネタ元から犯人の情報をつかみ、紙面のトップを飾る記事を書くことになります。ところが、それは、大誤報! 正確には、巧妙に仕組まれた罠に引っかかったのです。与党民自党の重鎮である三池高志が「メディア規制のきっかけとして、わざと誤報を書かせた」のです。誤報の影響は、「記事を取り消します」という文言の掲載だけでは済まされず、小寺政夫社長の命令で第三者による本格的な調査委員会の設置へと進展。が、のたうちながらも、南が真相追求を止めることはありませんでした。