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『小説帝都復興』 - 関東大震災の復興計画を主導した後藤新平

「災害を扱った作品」の第二弾は、岳真也『小説帝都復興』(PHP研究所、2011年)です。巨大地震が多くの建物を破壊する災害であることに、異論の余地はありません。ただ、巨大地震からの復興事業が被災地の再生に大きく寄与した事例があることもまた、歴史的事実。ちなみに、今日の巨大都市・東京の輪郭を作った契機として考えられているのが、関東大震災、太平洋戦争、東京オリンピックの三つ。この本は、関東大震災の復興事業に大きく貢献した、元東京市長で、帝都復興院の総裁となる政治家・後藤新平(1857-1929年)の姿をドキュメントタッチで描いた作品です。

 

[おもしろさ] 「禍を転じて福となす」-大震災から大改造へ

関東大震災が起こったのは、1923年(大正12年)9月1日午前11時58分。当時の東京は、「地方からの大量の貧民層の流入により、人口が急増。町のそこここに掘っ立て小屋もどきの住宅が建てられ、貧民窟までもできて無秩序に近い状態」でした。大きな災害でも起きたら、そのダメージは量りしれないと危惧されていたなか、大震災は、そうした東京の町並みを破壊してしまったのです。後藤は、災いをなんとかして福に転じるべく、帝都大改造を企てます。この本の魅力は、関東大震災の復興事業の骨格を策定した後藤新平が、どのような新帝都構想を持っていたのか、それをどのようにして実現しようとしたのか、なぜそれが計画通り実施されなかったのか、その後の東京大改造にどのような影響を与えたのかといったことを明らかにしている点です。

 

[あらすじ] 当初の構想は縮小されたとはいえ、大きな成果が

関東大震災によって焦土と化した首都圏。しかし、その翌日には、66歳の後藤新平山本権兵衛内閣で内務大臣に任命されています。1920年、彼は東京市長に就任し、帝都の大改造を構想しただけではありません。かつては台湾や満州でも土地計画を打ち立て、実行に移したという実績のある人物だったのです。後藤は、言います。「復旧ではなく、復興です」「ただ元にもどすだけでは駄目です。新につくりなおす……住みやすく、いかなる災害にも耐える、新しい都市をつくらねばなりません」。しかし、「大風呂敷」と称された後藤の壮大な大改造構想を待ち受けていたのは、財源の確保、各省庁間の壁、地主たちの反対など、分厚い乗り越えがたい障害でした。孤立無援の状態に陥った後藤。それでも、彼の志がベースになった当初の構想は大幅に縮小されたとはいえ、復興事業は震災の翌年である1924年から1930年に至るまで実施され、多くの成果を上げたのです。

 

小説 帝都復興

小説 帝都復興