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『東京、はじまる』 - 江戸を壊し、東京を建てる! 

「江戸・東京はじめて物語」の第三弾は、門井慶喜『東京、はじまる』(文藝春秋、2020年)です。日本人初の建築家となり、日本銀行本店、両国国技館、東京米穀取引所、東京駅などを設計。いわば「東京そのものを建築する」という使命を負わされた辰野金吾の生涯。「感動屋」であるとともに、ときには「なりふりかまわぬ」強引さを発揮した「人間辰野金吾」の実像が浮かび上がってきます!

 

[おもしろさ] 「人が仕事を選ぶのではなく、国が人を選ぶ」! 

明治維新によって、江戸から東京へと呼び名が変わりました。ところが、東京の街並みは、瓦屋根がべたりと広がり、土ぼこりが舞う江戸時代そのもの。確かに、日本の大工が木と漆喰で見よう見まねで西洋風の建物を造ってはいたものの、石やレンガを使った本格的な「西洋建築」は依然として皆無でした。新政府の指導者たちは、欧米の建築家に欧米風の建物を建ててもらうことを想定。しかし、辰野金吾がそうした風潮に待ったをかけたのです。彼は、日本が近代国家に転身するには、建築の世界でも諸外国からの「独立」を図ることが不可欠だという信念の持ち主でした。本書の魅力は、「西洋もどき」や欧米の建築家からの脱却を図り、金吾自身が「度胸よく、世界に打って出る精神」を持って、近代国家にふさわしい建造物を構築していくプロセスの描写にあります。「仕事というのは、好きか嫌いかで選ぶものではない。興味があるかどうかでもない。国家がそれを必要としているか否かで決めるものである。人が仕事を選ぶのではなく、国が人を選ぶのである」という晩年の言葉。「職業選択の自由」が未だ確立されていなかった時代の「仕事観」として注目に値するでしょう。

 

[あらすじ] 帝国大学工科大学教授 + 設計事務所の「二刀流」

工部大学校において、造家学教授のジョサイア・コンドル(のちに鹿鳴館を設計する)の指導を受けた辰野金吾。第一回卒業生のなかからただひとり、恩師コンドルの祖国イギリスへの留学が許されます。明治16年、3年間の留学を終えて帰国した金吾30歳は、「空間をうまく活用していない」平面的な東京の和風木造家屋群を前にして「大きな怒り」を感じていました。なぜか? それは、ごく普通の建物でも三階建て、四階建てであり、町全体として「効率的な空間利用」が図られているヨーロッパ諸国の現実からはほど遠い景観だったからです。そうした現状を改めていかないと、日本の発展は期待できない。したがって、建築家の責務は、「江戸を壊して、東京を建てる」ことだと考えていたのです。こうして、工部省営繕局の権少技長(省に所属する建築技術者すべてを統括する立場)および工部大学校(明治18年に工部省の廃省に伴い帝国大学に吸収され、帝国大学工科大学に改称)の造家学教授に任ぜられます。しかし、官吏である限り、基本的には所属する省以外から仕事を受注するのは簡単ではありませんでした。金吾は、「官と民の二刀流」で「日本初の民間建築事務所」となる辰野建築事務所を開設します。ビッグな最初の案件は、日本銀行本店の設計でした。金吾は、すでに恩師であるコンドルに決まりかけていた設計者の座を彼から強引に奪い取る形でそれを受注します。「日銀が、やれる」! そのことが彼に与えた安心感は極めて大きいものでした。それだけではありません。「日銀の設計者」という「看板」によって、設計の注文が次々と舞い込むようになったのです。また、彼の尽力により、日本人建築家を組織化する造家学会(のちの建築学会)が創られました。