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『給食のおにいさん』 - 給食をめぐる人間紋様

戦後の小学生であれば、ほとんどの人が経験した学校給食。世代による違いはあるかもしれませんが、多くの人にとっては、「歯を磨いたり顔を洗ったりするのと同じで、すぐに流れ去る日常でしかなかった」のではないでしょうか? 私自身、記憶に残っている給食シーンは、「脱脂粉乳」と「アルミの器」くらい。食事の中身については、まったく思い起こすことができません……。しかし昨今、「食育」(食に関する知識と食を選ぶ力を習得し、健全な食生活を実践する人間を育成すること)という言葉とともに、食事のあり方はもちろんのこと、「食育の原点」とも言うべき給食に対する関心も高まっています。私も、「学校給食の存在意義」「提供する人たちの苦労・喜び・仕事内容」「食する人たちの受けとめ方」「給食を待ちわびている人たちの思い」などを描き出した二つの作品を読んでみたのですが、給食に対する認識を新たにさせられました。

「学校給食を扱った作品」の第一弾は、「提供する側」を描いた遠藤彩見『給食のおにいさん』(幻冬舎文庫、2013年)。佐々目宗が腕を振るってきたのは、レストランやビストロ。10年間にコンクールで手に入れた賞は、十数個に及びます。そんな一流シェフが、「子ども嫌い」であるにもかかわらず、1年間契約で小学校の給食調理員として働くことに。さっそく、鍛え上げた料理のスキルを発揮しようと奮闘するものの、給食という制度の中には、発揮する余地がほとんどありません。しかも、大人たちには高い評価を受けてきた「シェフとしての自信の味付け」は、子どもたちの味覚にはまったく合わないのです。残菜率(食べ残しの比率)53.2%という「不名誉」な数値を……。ところが、佐々目は徐々に、子どもたちに人気の「給食のおしいさん」に変身していきます! 近年の給食事情、厳しい制約のなかでも、なんとか子どもたちにおいしく食べてもらおうとする、調理師や栄養士の苦労と仕事、給食をめぐる人間紋様がよくわかるお仕事小説です。

 

[おもしろさ] 「一流シェフ」から「給食のおにいさん」へ

本書の読みどころは、佐々目宗の「一流シェフ」から「給食のおにいさん」への変貌のプロセスを描き切った点にあります。最初は、子どもとどのように接すれば良いのか、まったくわかりません。徐々に、手探りで子どもたちとの距離を推し量りながら、試行錯誤を繰り返します。やがて、「ささめ」「給食のおにいさん」と呼ばれ、生徒たちの人気者に。なにを契機に、どういった紆余曲折を経て、そうした変身が可能になるのでしょうか? より広く、人と接するのが苦手な人にとっても、大いに参考となるコンテンツになっています。

 

[あらすじ] 新たな地平に辿り着くための試練か? 

念願の自分の店をオープンさせたものの、間もなく火災ですべてを失った佐々目宗。生きていくために、1年間のつもりで、東京都S区立若竹小学校臨時給食調理員になりました。彼の上司に当たるのは、管理栄養士と調理師の資格を有した栄養職員の毛利恵太です。S区の 給食は手作りが基本。前日調理は禁止。調理時間は、給食開始までの4時間しかありません。調理数は、子どもたちと教職員の分を合わせた約320食。毛利が調理師1名と調理補助3名をまとめています。出勤初日、スープの味加減をみて、「これ味が薄いですよ」と言う佐々目。それに対し、「レシピにない調味料は入れないで下さい」「給食はカロリー、栄養分、塩分、すべて計算してメニューを組んでいます。給食は、一に安全、二に栄養、カロリー、塩分、予算、味は、その次です」と答える毛利。「この工場のような給食調理場で思い通りの品が作れるなどとは最初から思っていない。だけど味付けまで命令通りにやる調理マシーンになるつもりもなかった」。そのような佐々目の思いをことごとく打ち砕いていく毛利。そうしたプレッシャーのなか、佐々目の奮闘は続いていきます! そして、「給食のおにいさん」になりきったとき、調理師としての新たな地平に辿り着きます!