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『農ガール、農ライフ』 - 「空想的な将来像」から「現実的な将来像」へ

私たちの生命は、食べ物から栄養を取ることで維持されています。近年、その食べ物に対する関心が非常に広がっています。ところが、そうした食べ物生産の現場である農業のこととなると、多くの人は、まったくと言ってよいほど、知識を持っていません。日本の農業はいま、農業人口の減少、農業従事者の高齢化、後継者不足、農村の過疎化、新規就農のハードルの高さ、食料自給率の低さなど、さまざまな課題を抱えています。抜本的な解決策が打ち出されず、事態がこのまま推移していけば、近い将来、日本の食糧事情の悪化が懸念されているのです。そこで、「農業を扱った作品」を四回に分けて紹介していこうと思います。

「農業を扱った作品」の第一弾は、垣谷美雨『農ガール、農ライフ』(祥伝社、2016年)です。農業が抱える上述の諸問題のうち、新規就農のハードルの高さとは、具体的にどのようなものなのかがよくわかる作品です。また、学生時代になんとなく思い描いていた「空想的な将来像」がいったん壊れ、農業という仕事への参入を通して、「現実的で地についた将来像」へと変わっていく、アラサー女性の成長を描いた物語でもあります。

 

[おもしろさ] 自立した道を見つけるまでの道のり

本書のおもしろさは、二つです。ひとつ目は、学生時代に漠然と思い描いていた将来に対するイメージが壊れ、実社会という現実との格闘のなかで成長していく女性の成長を見事に描いていること。「学生の頃は、こんな惨めな人生になるなんて想像もしていなかった。大学を出て総合職としてバリバリ働いて、好きな人ができたらいずれ結婚して、産休や育休をうまく利用しながら子供は少なくとも二人は産む。三十代は仕事に家事に育児にと、きっと目が回るくらい忙しいだろう。だけど自分なら工夫してうまく乗り切れる。何の根拠もないのに、そんな自信を持っていた」。そのように思っていた主人公が、現実の壁にぶち当たって悩むなかで、次のような考えを持つようになっていきます。「今まで自分は、安定した会社に正社員として勤めることが『正解』の人生だと信じて疑わなかった。そんな凝り固まった価値観の中で必死にもがいていたのだ。だが、考えてみれば、今や非正規雇用は四割に上る。いろいろな生き方があっていい。自立する道を見つけて、なんとか食べていければ、とりあえずは『正解』なのだ」。「多くの人に助けられて、ここまで来た。だからいつか自分も、誰かがピンチのときに助けられる人になりたいと思う」。ふたつ目は、農業を取り巻く諸困難がクリアに明示されていること。例えば、「イヤイヤやっているという農業委員」のやる気のなさ、夫婦の労働力でなんとか就農が維持できるという現実など。しかも、そうした問題を克服しようとする動きが希薄であることにも言及されています。

 

[あらすじ] 「やるべきことは全部やる」という気概が道を拓く

派遣切りで仕事を失った日、6年間同棲していた彼氏から別れを宣言され、住む場所も失うことになった主人公の水沢久美子32歳。失意の中、偶然目に入ったのが、農業女子を紹介するテレビ番組。一大決心をした久美子は、田舎に引っ越し、農業大学校で6ケ月の研修に参加。「苦労して作物を育て、収穫できたときの喜びも大きかった」。市役所主催の就農説明会にも出席します。いよいよ農業に従事できるかと思いきや、入り口から困難の連続に直面することに。「どこの馬の骨ともわからないヤツには貸せない」。よく知らない独身女性に田畑を貸してくれるという人などいなかったのです。しかし、「やるべきことは全部やる」という気概を持つようになった久美子。スーパーでのアルバイトを兼務しながら、小区画で一生懸命農作業に従事。その姿を周りの人が見て認めてくれるように。また彼らとの交流を深めるなかで活路を切り開いていきます。

 

農ガール、農ライフ (祥伝社文庫)

農ガール、農ライフ (祥伝社文庫)