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『女帝』 - バブル期を象徴する「女相場師」の実像

低成長や円安の話ばかりがまかり通っている昨今の日本経済。しかし、歴史を紐解けば、大幅な円高が進行し、好景気に多くの人が酔いしれた時代が確かにあったのです。それは、1986年12月~1991年4月の「バブル景気」(平成景気)の時期に当たります。土地も株も上がり続けるという「神話」を信じた企業や個人がそれらを買いあさり、「財テク」に奔走した狂気の時代と言えるかもしれません。いまの若い人には、想像すらしにくいことでしょうが、一人当たりの国民所得で、日本がアメリカを凌駕したのもこの頃のこと。今回のテーマは「バブルの時代」。2021年1月26日~2月2日に、同じテーマで三つの作品を俎上に載せました。中古本でしか入手できないという理由で、そのときには取り上げなかった五つの作品を紹介したいと思います。いずれも、バブルの時代における人々の「熱狂・浮かれ感」を見事に浮き彫りにしています。

「バブルの時代を扱った作品」の第一弾は、清水一行『女帝 小説尾上縫』(朝日新聞社、1993年)。経済とか株とかにまったく知識がなかったにもかかわらず、バブルの時代に「女相場」として噂され、空前の金融犯罪を引き起こした料亭の女将、尾上縫の半生を描いた作品です。1995年に公開された映画『女帝』(監督:すずきじゅんいち。主演:真行寺君枝、出演:椎名桔平)の原作。

 

[おもしろさ] ノンバンクや銀行に踊らされた縫

本書のおもしろさは、なんと言っても、「経済・株オンチ」である縫がなぜ、架空の預金証書まで使って巨額の投資を行うことになったのか、なぜバブルの時代を象徴する「謎の女相場師」に仕立て上げられたのかを明らかにしている点にあります。株に手をつけた1986年からの約5年間、縫が借りまくったとされる金は、2兆7700億円に達しています。そのうちの2兆3000億円は必死になって返済。正しくは回転させたと言い直すべきかもしれません。その間、「縫自身が自分で選んだ銘柄は、ただの一つもなかった」のです。「異常だと思わずに、競争で縫に貸しこみつづけるノンバンクと銀行は、縫にかかわる空前の金融犯罪の共犯者だった」のではないでしょうか! 当の銀行に「百億円の証書が、担保に入っていたのですが、間違いないでしょうか」と、なぜ聞く人がいなかったのでしょうか。

 

[あらすじ] 「せっかくきてくれたのに、断っては悪い」

奈良県の貧しい家に生まれ、大阪ミナミの宗右衛門町の一角にある料亭の仲居になった尾上縫。26歳のとき、ハム会社の社長内村の愛人になったものの、内村は脳卒中で急逝。料亭用の土地を手に入れたあと、不動産の取引で大儲けした住宅会社の社長高橋をスポンサーにして、いよいよ念願の料亭の経営に手を染めることになります。高橋の死後、客足が遠のき、なんとか狭い店を大きくし、打開策を打とうと思案しながらも、歳月が流れていきました。そして、縫が49歳になったとき、阪内信用金庫の本店営業部の小川英夫が挨拶にやってきました。小川は、ごく平凡な人物でしたが、同郷のよしみで彼の出世の手助けになるならと考え、多額の定額預金をするようになります。と同時に、これまで無料で行ってきた霊感占いを有料で行うようなります。「よくあたる」という噂が広がったことが期待以上の利益をもたらし、料亭は繁昌します。すると、いろいろな銀行の得意先係が預金の勧誘にやってくるようになります。縫は、「せっかくきてくれたのに、断っては悪い」と思い、取引銀行が増加の一途をたどります。84年に、6億円の融資を受け、地上5階地下一階の「エレベーター付きのビル料亭」を完成。さらに、縫は、北浜の丸勧証券営業部次長星野に言われるまま、仮名口座で持っていた10億円近いお金の運用を始めます。かくして、「バブル相場の序章ともいうべき86年の春から、縫は気乗りしないまま株とかかわりを持たされたこと」となります。最初は儲かりました。ただ、儲けたお金が手許に残ることはなく、借りた金や新たな株の購入のための担保として持っていかれます。「どうぞ借りて下さいと言われる」と、断りきれなくなる縫。童女のようなところがあったのです。幾つものノンバンクからの借金が雪だるま式に増加。さらには、小川に頼んで、架空の預金証書を発行してもらい、それを担保にして、株に投入。彼女を有頂天にさせたのは、初公開のNTT株で28億円を稼いだこと。練達の女相場師が登場したというニュースが北浜で噂になり、他の証券会社からも勧誘が殺到します。経済や株のことなどまったく理解していないド素人であるにもかかわらず、縫は、時価で百億円近くの株を保有するという、「表面上のスケールは、機関投資家並み」だったのです。さらには、噂を聞いて、日本産業銀行の幹部がやってきて、ワリ債を購入し、それを担保にして融資を申し込めばどうかと尋ねます。結局25億円のワリ債を買う羽目に。買わなければ悪いと思い、結局薦められるまま、最後には2500億円までワリ債を買い続け、産銀から1000億円の融資を受けています。産銀の株も、個人筆頭株主になるほども購入。小川には、担保のために偽造の預金証書の依頼を続けて、手を付けるつもりのない不動産も担保に入れ、株を買いまくります。その結果、87年度における借入金の総額が789億円であったのが、89年末には2270億円に、そして、90年には一年間でなんと1兆1975億円に達していました。