かつて、モノがまだ少ない時代にあって、多種多様な商品を陳列する百貨店は、まさに小売業界の雄にふさわしい存在でした。なかでも、高度成長期(1955-73年)には、多くの人に「素敵な暮らしの夢」を与えました。しかし、その後、顧客の求める商品の多様化・細分化が進み、小売業界にもスーパー・コンビニ・ネット販売といった新たな業態が登場するようになると、百貨店の売上げは低迷。特に外国人による爆買いが減速し始めた2015年以降、地方の店舗を中心として、閉店のニュースが後を絶たない状態に陥っています。もちろん、都心店の大型化、ネット通販の拡充、デパ地下の進化、百貨店の複合型ショッピングセンター(SC)への転換、ヨガや茶道教室といった体験型サービスの提供、高級ドレスのレンタルなど、改革に向けてのさまざまな模索が行われています。が、将来を見据えた長期的な戦略は描き切れていないように思われます。そこで、百貨店の原点と現状を探るべく、「百貨店を扱った作品」を三つ紹介したいと思います。
「百貨店を扱った作品」の第一弾は、玉岡かおる『花になるらん―明治おんな繁盛記―』(新潮社、2017年)です。日本を代表する百貨店の一つである高島屋の起源は、1831年に飯田新七が京都烏丸松原で創業した古着・木綿商「たかしまや」です。本書のモデルは、その高島屋2代目の娘である飯田歌。高倉屋の勢田雅という名で登場します。幕末から明治を生き抜いた女性実業家・勢田雅の生涯を通して、「美しいもの、新しいもの、顧客が求めるもの」をなんでもそろえるという、百貨店の本質・原点が浮き彫りにされています。
[おもしろさ] 百貨店という業態を展望できる商売モデルが
男性にとってもそうだったのですが、女性にとっては、より一層制約の多い、また伝統の枠を出ない生き方を余儀なくされた明治という時代。「好奇心にあふれ、たえずきらきらと目を輝かせている」女性主人公の姿は、なんと魅力的なことだったのでしょうか! 本書の特色は、そうしたヒロインの生き方とともに、日本に百貨店がまだ出現していない時代にあって、「夢を売る店」=百貨店という業態を展望できる商売モデルを作り出すプロセスが描写されている点にあります。「うちが売る品は、よきもの、すばらしきもの、ほかの店にはないもの、お客さんが喜ぶもの」。「高倉屋の品といえば皆が信用する、そんな逸品だけを揃えていく」。いまでは、当たり前のことかもしれませんが、そうした考えを実践していくこと自体、当時の時代状況のなかでは実に大変なことだったことがよくわかる作品です。
[あらすじ] 高倉屋を飛躍させた雅の行いの数々
初代義市を名乗った勢田信兵衛が開いた呉服古着屋「高倉屋」は、当初、古着や木綿を扱う間口二間の小さな店でした。しかし、信兵衛の娘である雅の婿養子となった夫の哲太郎=二代目義市の主導下、店は大きく飛躍。絹や太物も扱う一流の呉服屋、のちには「まるで百の品がそろうよろず屋」、先行する老舗からも一目置かれる大店になっていたのです。そうした店の発展に大きく貢献したのが、雅でした。「知恵も回るし手も早い、その代わり大胆で危なっかしい」。そんな生来の性格から、ガガッと力みなぎるイメージを醸し出した「ががはん」というあだ名で呼ばれていました。当時は、商家の娘といえば、「すべてを使用人にまかせてみずから働くことはなく、奥できれいに身ごしらえして優雅にいる存在」でした。が、雅は「仕入れや帳簿にも大いに関心を示す」女性だったのです。とりわけ夫の死後、彼女の役割は一層大きなものとなりました。彼女の功績を一言で表現すれば、視野を世界に広げた点でした。万国博覧会にたびたび出品し入賞を果たしたり、職人の技巧を駆使した織物を世界に紹介したり、外国と貿易する会社を立ち上げたりしたのです。また、年に1回、新作の発表展示会を開催し、デザインの考案に専心する図案室を立ち上げたことも、新しいビジネス手法を定着させる役割を果たしたのです。